宮古島ロングステイのあたらしいカタチ 宮古島テラスハウス 宮古島ロングステイのあたらしいカタチ 宮古島テラスハウス

里のブログ


1.17

昨日の晴天はどこへやら・・・朝から大雨の宮古島です。
ワイドーマラソン参加の皆様、大丈夫でしょうか。

 

今日は1月17日。
兵庫県明石市出身の私は、21年前のこの日、あの大きな揺れの中にいました。
当時の私は、小学1年生でした。
明石海峡大橋が一望できる丘の上にあった私たちの町は、大変大きな被害に見舞われました。
家中の家具が倒れ、食器はほとんど割れて、団地の壁はヒビだらけ。
マンホールからは水があふれ出ていました。
水道やガスなどライフラインは復旧に数ヶ月かかりましたし
私の小学校は体育館の屋根が崩落し学校の機能も停止していました。
毎日、やかんやポリタンクを抱えて、水が入れられる物なら皆何でも持っていきました。
配水車の行列に並んでも、すぐ配水タンクは空になり、また次の配水車が来るのをみんな待っていました。
お風呂に入る為に、1時間近く車を走らせ行列を作って隣の町まで行きました。
みんな炊き出しのおにぎりをもらいに行ったし、火を使わなくて済む食べ物ばかりを食べていました。

 

7歳の記憶が、どこまで真実かは私自身あいまいです。
怖かったし辛かったかと聞かれれば、きっとそうだったはずなんです。
でも、もしかして私は列に並ばず石ころを蹴って遊んでいたかもしれないし
水の入ったやかんは重たかったなんて言っても、兄はもっと重たいタンクを抱えただろうし
冷たいパンに文句を言っても、それすら手に入らない方もいたのかもしれない。
だから、私自身の話としては大げさだと言われてもかまいません。
ただ、これが決して大げさではなく、もっと苦しい辛い思いをされた方が
本当にたくさんいたのだと、お伝えしたいです。

 

今、20年を節目にと、阪神淡路大震災の慰霊行事は数が減ってきているそうです。

 

戦争を知らない私たちが、修学旅行の講話なんかで体験談を聞くように、
この震災もいつかは語り継ぐ人が減ってきてしまう日がくるのでしょうね。
こうやって記憶や体験は、歴史になっていくんですね。

 

私は今日の慰霊祭に参加することはできないし
今も手が足りていない東日本大震災の現地ボランティアに行けるわけじゃないし
街角募金で声を枯らしているわけじゃないですけど
ただ、こうやって文字にして発信することで
誰かの心に何かが届いていればいいなと思うわけです。

 

これはまたキレイゴトかもしれませんが。
被災地に被災者に「頑張れ」って言う事は、とても酷だと思うんです。
だってもう目一杯頑張ってるんですから。
だから、こんな節目の日を迎えるときは
「頑張ったね」っていう言葉のほうが、私は好きなんです。

 

がむしゃらに頑張ってる人は、きっと頑張ってる自分に気付きません。
だから、頑張ったねって誰かに言われて改めて、あぁそうかって自ずと思えるでしょ。
誰かに認められる安心感ってとても大きなものだと思います。
オリックスだって、がんばれKOBEじゃなくてがんばろうKOBEと言いました。
一緒に頑張ろうと思えば、みんなで力を合わせれば頑張れるんです。
みんなで頑張ってきたから、神戸の街や淡路の町は復興はもちろん発展してきました。
だから今日神戸の街にいる人は、自分たちの頑張りがこの街を生き返らせたのだと
胸を張ってほしいなと、思います。

 

今日はオチも締めの言葉も浮かびませんので、ここら辺で終わります。
皆様にとって良い一日でありますように。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA